2007年01月26日

〜回顧録 〜乗り換えの町編 その弐〜

この町のお話、時系列には難しいように思っています
『○年生の時に・・・』と言う区切りが無いような?
ですから、事柄事に・・・そして思い出したら順に(^_-)


【紙飛行機大会】

ある朝、学校に着くと何人かが前庭に面した廊下の窓から紙飛行機を飛ばしてました
それも二階の窓から
高い場所からですから、それなりに滞空時間も長く
まっすぐ飛んだり、螺旋状に飛んだり、急降下したり(^○^)

昇降口に入るまでの光景ですから、ほぼ全校生徒の目に触れることになります

それは、あっという間に各学年、各クラスに広まり
男女問わず!銘々が覚えている折り方で飛ばしているのでした
当然と言えば当然でしょうが、飛ばした紙飛行機は誰も拾いに行きません
用務員のオジサンが拾っても拾っても・・・・・・
そりゃそうですよねぇ〜(^◇^;)毎時間事の休み時間で飛ばしてるんですから

そしてこれも当然!
各担任の先生からは「窓から紙飛行機を飛ばさないように!(-.-#)」と言うお叱り

その後も先生の目を盗んで飛ばしていたのは、言うまでもありません

そんな事の初めの頃
僕の担任の<片山先生>がいきなり!一時間目の授業が始まってすぐ!
「はいっ♪みんなで得意な紙飛行機折って!」(^-^ )
クラス全員、ノートの紙をはぎ取り折り始めます
「できたかなぁ〜」(^-^ )
「じゃぁ、みんなで上のグランドに行くよぉ〜♪」(^-^ )
僕たち全員?(・_。)?>(。_・)?

 ※その学校は段々の中断に有り、下が本来学校のグランド
  上のグランドは町のグランドでした

上のグランドに集まると
「これから紙飛行機大会を始めます」
「先生の合図でみんな一斉に飛ばしてください」
「さぁ〜!!!誰の紙飛行機が一番長く飛ぶかなぁ〜」(^-^ )
「よぉ〜い!・・・ドンッ!」

四十数機の紙飛行機が一斉に青空に舞います
「ぁあ〜落ちたぁ"(ノ_・、)" 」
「まだ飛んでるぅ〜ヽ(´▽`)/~♪」・・・・・・・
「今の一等賞は○×△君〜〜〜」(^o^)/
「じゃぁ、みんな拾って調整してぇ・・二回目行くよぉ〜!」


そんな風に一時間目の授業は終わるのでした

それからしばらく、天気の良い一時間目は毎日!
思いっきり!折って、飛ばして!ますから
休み時間はわざわざ飛ばさなくなります
それよりも「どうしたら長く飛ぶかなぁ〜?」と折ることに夢中になります
教室の中で試運転、調整の繰り返し

片山先生
のクラス(僕のいるクラス)の生徒達が「休み時間に窓にいない」
他の先生達も感じたらしく、その後各学年、各クラスで「紙飛行機大会」が開催されるようになり
いつの間にか・・窓から紙飛行機を飛ばす生徒がいなくなったのでした
「飛ばし飽きた」ってのもあるのでしょうけどネッ(^◇^;)

片山先生:左の耳の後ろ側に大きなコブのある男の先生でした
     いつも笑顔でみんなを見守り
     遊ぶことから、いろんな事を学ばせてくれた先生
     この町のこの学校の思い出は、その先生と共につづきます・・・

2007年01月23日

回顧録 〜乗り換えの町編 その壱〜

【転校】

小学校二年生も終わる頃
それまで過ごした町を離れ
クラスメートからの段ボール箱いっぱい♪のプレゼントを抱え引っ越しでした

その日僕は、バタバタと荷物を運び込む大人達とは離れ
部屋の隅っこでその段ボール箱を開けたのでした
ひとつひとつに名前と一言が添えられたプレゼントを取り出し
昨日まで一緒だった友達を懐かしみ、顔を思い出し
『会えなくなっちゃったんだなぁ〜』と思いながら・・・
そしてもう一つ、不安と

翌日だったと思います
学校に行ったのは

父と向かう小学校は、緩い坂をしばらく下り大きな橋を越え
そしてまた、緩い坂を上り
国道から東側に一本入った通りをさらに進み
左手に大きなお寺が見え、間もなく右手に木々に囲まれたグランドが見えます
その一段上に木造2階建ての見るからに大きい校舎、体育館

グランドを通り、丸太で作られた階段を上るとここもまた!
手入れのされた木々と、その間を縫うように道が造られ玄関まで導かれます
昇降口のある側は廊下に面しているらしく、ずらりと並んだ窓に人影は見えませんでした


職員室に入り、担任の先生と初対面
そして先生に連れられ教室に向かいます
教室に入り、先生の横で自己紹介をし・・・

そこまで?(・_。)?(。_・)?
その先は、新しい学校の新しいクラスメートと遊んでいる場面


今の子供達もそんな状況でそうなのかな?
あっという間も無いくらいクラスにとけ込み
寂しさや不安は無くなっていったんでしょうねぇ〜

(ちなみに同行した父は、いつの間にか帰っていたようです(^^ゞ)

2007年01月17日

回顧録 〜乗り換えの町編 その?〜(震災)

今日が「阪神・淡路大震災」
それが12年前・・・と言うことを昨日・今日になって思い出したのが現実です
僕自身は遭遇したわけではなく
ほとんど野次馬根性でTVを観ていました

そんな僕も
1968年(昭和43年)5月16日午前9時48分←ウィキペディア(Wikipedia)で確認
大地震を始めて経験しました

その時のお話を少し・・・


その日、学校はお休みでした
日曜日と言う訳ではなく、「学習研修」(?)
どういう仕組みだったのか?僕にはわかりませんが
決められた学年、クラスの生徒達だけが出校し
各方面から訪れた先生達を前に授業を受ける日だったのです

朝からどんよりと曇った日でした
朝ご飯を食べ終え、近所の子供達と線路にほど近い広場で遊んでいました
(^(^▽(^▽(^▽^)▽^)▽^)^)
ひとしきり駆け回り、黒と黄色のストライプの入ったビニール傘
そのビニールの部分だけを持って行った僕は
遊んでいた子達とちょっと一休み(^-^ )
広場の真ん真ん中で(テニスコートの倍くらいの広さです)

少しすると???
「ユラユラ〜」っと揺れ始めました

最初のウチは、『電車が来たのかな?』
(電車が通と結構揺れる一帯だったのです)
でも( ̄◇ ̄;)いつもとはちょっと違います!
どんどん、どんどん揺れが大きくなります{{{{(+_+)}}}}エー!

一緒にいた子達は、二人とも僕より小さい子達です
『家に帰ろう!』と手を取り立ち上がろうとするんだけどっ!
手を突いて座っているのが精一杯(><)
そのうち二人とも泣き始めます(。>_<。)(。>_<。)

どうにもならず、目の前を見ると(*¨)(*・・)(¨*)(・・*)
「家」が、菱形に歪んでいます・・・右に左にアワワワ(;゜o゜) *〜●。。。
今にも潰れそうに・・・!!!


何分経ったのか?何秒だったのか?
揺れが納まり、敷物を抱え二人の手を引きそれぞれの家へ送り届け
自分の家にたどり着いた時・・・
母は裸足で弟を背負い
畑の真ん中にぼーぜん【゚_゚】【・・】と立っていました

玄関の前には、なぜか?練炭コンロ
まだ薄寒い北国
練炭コンロで暖を取っていたのです
ではなぜ?玄関の前に?
地震直後!通りかかったオジサンに「家の中に練炭コンロが!・・・」
その一言で運び出してくれたのだそうです

家の中はと言えば、タンスもテレビも食器棚も
背の高い物は全て倒れていました
練炭コンロが家の中にあったら、間違いなく!火災になっていたことでしょう
「家の中に・・・!」と叫んだ母
それを聞きつけて運び出してくれたオジサン
どちらも大したものです<(_ _)>

家そのものはと言えば
当時の家は、「玉石」と言う大きな石の上に土台を乗せて建てられていました
「家」そのものは、何事も無かったように建っていましたが
見事にっ!基礎である玉石からはズレ落ちていました
(その修繕については、また・・・)


しばらくして父が仕事をそっちのけで帰ってきます
両手に袋をぶら下げて???
「菓子パン」です
職場の帰り道、通りすがりの道々で全てのお店で買い集めて来たのだそうです
『災害の時は、まずっ!食べ物!』なのだそうです(ごもっとも

その夜
何度も余震が来る中
玄関に布団を敷き休んでいたのですが
余震とは思えないような揺れが幾度も繰り返します
官舎(公務員宿舎)のお父さん達が集まり「一カ所に集まろうっ!」

ちょっと内緒ですが・・(^^ゞ
職場のマイクロバス、トラック、乗用車
全てを僕が遊んでいた広場に集め、女子供は車の中
お父さん達は?
僕の見た潰れそうだった家に集まり「大宴会♪」

怖くも有り、でも当時の大人達の逞しさを垣間見る事が出来ました



長くもなった中で余談ですが
戦時中を過ごしてきた彼等(父達)
やはり!逞しい存在でしたねぇ〜・・・・・・・